グーテンベルグ広場の屋根裏部屋―ツィンバロン奏者のブダペスト生活

僕は2002年から2006年まで、ブダペスト8区のグーテンベルグ広場に面したアパートで暮らしていました。

5階建ての建物の5階。まさに屋根裏部屋でした。

建物の最上階中央に、少し突き出した小さなベランダがあります。その右側に並ぶ窓4つ分までが僕の部屋でした。「屋根裏部屋」と聞くと狭い一室を想像されるかもしれませんが、窓が4つ並ぶほど横に広く、すべての部屋からグーテンベルグ広場を見ることができました。


*グーテンベルグ広場から見たアパート。最上階中央の小さなベランダと、その右側に並ぶ窓4つ分までが僕の部屋でした。*

建物には古いエレベーターがありました。扉を自分で開け閉めする昔ながらのもので、動くたびに大きな音が建物中へ響きました。階段もゆったりと広く、築100年近く経っていた建物ではなかったかと思います。

僕の住んでいたアパートは、ブダペスト8区の中では比較的きれいな建物でした。しかし壁をよく見ると、1956年のハンガリー動乱でソ連軍が侵攻した際の銃弾の跡がコンクリートで埋められ、その上から黄色い塗料が塗られているのが分かりました。

路地裏へ入ると、銃弾の跡がむき出しのまま残っている建物もありました。

ブダペストでは、歴史は博物館の中だけにあるものではありません。人々が今も暮らしている建物の壁や階段、古いエレベーターの大きな音の中にも、この街が歩んできた時間が刻まれていました。


グーテンベルグ広場のある暮らし

アパートの前は、グーテンベルグ公園でした。

僕はよく公園のベンチに座り、本を読んだり、サンドイッチを食べたりしながら、のんびりと過ごしました。自分の部屋の窓からいつも見ていた広場が、そのまま僕の日常の居場所でもありました。

アパートの1階には、小さな図書館と24時間営業のお店がありました。斜め向かいには8区の劇場と小さな音楽学校があり、僕はその音楽学校へよく遊びに行きました。広場の反対側には、ユダヤ教の教会であるシナゴーグもありました。

大学、図書館、劇場、音楽学校、シナゴーグ、公園、そして人々の日々の暮らしが、一つの広場の周囲に集まっていました。


アパートを側面から見たところ。1階には24時間営業のお店があり、毎日の暮らしにも便利な場所でした。*

同じ8区でも、環状通りの内側と外側では、当時は街の雰囲気が大きく異なりました。

僕のアパートは環状通りの内側にあり、大学や図書館などが集まる、アカデミックで文化的な地域でした。一方、環状通りの外側には、当時の僕には少し怖く感じられる地区もあり、あまり出かけることはありませんでした。

リスト音楽院にも、オペラハウスにも、音楽図書館にも歩いて行くことができました。

音楽を学ぶためにブダペストへ来た僕にとって、本当に恵まれた場所だったと思います。


環状通りの向こうにあった8区市場

環状通りを渡ったところには、8区の市場がありました。

市場へ入ると、パン屋さんから焼きたてのパンのとてもよい香りが漂ってきました。食料品だけではなく、服や花なども売られていました。

野菜や果物は袋詰めではなく、必要なものを1個から買うことができました。一人暮らしの僕にはとても便利で、店主と話し、時には値段を交渉しながら買い物をしました。

市場には小さな食堂もありました。僕が通ると、店主がいつも大きな声で、

「ヒロ〜!」

と呼び止めてくれました。

日替わりのハンガリー料理を、ほとんど毎日のようにそこで食べました。洗面器ほどもあるスープとメイン料理が付いて、当時の日本円で300円ほどでした。

店主とはいつも冗談を言い合い、何度も一緒に爆笑しました。

僕が卒業して街を離れるときには、その店主と抱き合って別れました。日本の100円ショップで買った扇子を贈ると、とても喜んでくれました。

市場の隣、自宅から100メートルほどのところには中国食材店もありました。そこで豆腐、餃子の皮、冷凍の海鮮などを買い、僕はよく餃子を作りました。

日本食材も置いてありましたが、当時はとても高価でした。日本人駐在員の奥さんから、豆腐やパンの買い物を頼まれることもありました。

近くの中華料理店では、白いご飯、炒飯、焼きそばに十種類ほどのおかずを選んで載せることができ、当時の日本円で200円ほどでした。

僕はすっかり常連になり、熱々の大盛り炒飯や、メニューにはないカレーチャーハンを出してもらうこともありました。


「住めば都」になった8区

グーテンベルグ広場のベンチ、古いエレベーターの大きな音、音楽学校から聞こえる音、市場のパン屋さんの香り、野菜や果物を1個ずつ買った店、そして僕を見つけると「ヒロ〜!」と呼んでくれた人たち。

華やかな観光地としてのブダペストだけではなく、そこで暮らしたからこそ知ることのできた日常が、僕の中には今もはっきり残っています。

僕にとって、ブダペスト8区はまさに「住めば都」でした。

リスト音楽院にも、オペラハウスにも、音楽図書館にも歩いて行ける場所で、グーテンベルグ広場を見渡せる広い屋根裏部屋に住み、音楽を学びながら街の人たちと日々を重ねることができました。

あれほど恵まれた場所で暮らす機会を与えてくださったハンガリー政府、そして僕を受け入れてくださった大家さんには、今も心から感謝しています。

あのアパートとグーテンベルグ広場は、僕の留学生活を支えてくれた、かけがえのない場所です。

2026年08月19日