僕のツィンバロンがやってきた日

2003年の夏、待望の僕の新しいツィンバロンが、ブダペストのアパートに届きました。

チェコ・ブルノから、製作者のパヴェルとペトルが、わざわざブダペストまで運んできてくれたのです。

嬉しかったなぁ…。
初めて新しい相棒と対面した時は。

2003年夏、ブダペストのアパートに届いたばかりの白木のツィンバロン

2003年夏、ブダペストのアパートに届いたばかりのツィンバロン。僕とこの相棒の「最初の日」です。


待ちに待った、新しい相棒

僕は朝から、パヴェルとペトルが到着するのをソワソワしながら待っていました。

そして、アパートの門の呼び鈴が鳴った時には、もうテンションはマックス。

2人が僕の部屋まで楽器を搬入し、組み立ててくれた時、そこには生まれたてのような、若い木の匂いがしました。

それまで使っていたバチで、さっそく叩いてみると、

「あれ、この楽器はちょっと違うぞ?」

そう感じました。

音がこもらないんです。輪郭がはっきりしていて、とても明るい音。

僕はすっかり興奮してしまい、その日はなかなか眠れなかったことを覚えています。

「これから、この相棒と一緒に生きていくんだ…」

そんなことを思っていました。

ハンガリーへ留学した2002年、僕はすぐに自分のツィンバロンを準備することができませんでした。

そのため、Zeneiskola(音楽学校)の計らいで、特別に1年間、ツィンバロンを貸与してもらっていました。

その期間が満了して楽器を返却した、ちょうどその頃に、この新しい相棒がやってきたのです。


まだ「やんちゃ」だったプロトタイプ

とても素敵なフォルムでしょう?

この楽器は、僕の師匠である世界ツィンバロン協会会長、ヘレンチャール・ヴィクトーリアのために開発されたツィンバロンで、この時にはまだ試作段階、いわゆるプロトタイプのモデルでした。

当時、このプロトタイプを使っていたのは主にヘレンチャール門下の奏者たちでした。そしてブダペストには、先生と僕の2台しか、このツィンバロンはありませんでした。

もっとも、出来上がったばかりの頃のこのツィンバロンは、なかなか「やんちゃ」でした。

毎日毎日調律しても、すぐに狂う。

ペダルもまだ硬く、なかなか思うように踏めません。

まだプロトタイプだったので、製作者と相談しながら何度も改良を重ねました。少し削ってもらったり、パーツを交換したり……。

僕自身も、この楽器が少しずつ育っていく過程を一緒に経験することになりました。

当時、まだ世界に数台しかなかったこのモデルは、その後チェコやスロバキアでも一気に人気となり、手に入れるために何年も待たなければならないほどになりました。

ブダペストにたった2台しかなかった、白木のヘレンチャール・モデル。

先生の楽器と僕の楽器。この2台でデュオをすると、音質も音量もとてもよく馴染み、バランスの良い響きになると好評でした。


この相棒とヨーロッパへ、そして日本へ

僕はこの相棒とともに、留学中もたくさんの街へコンサートに出かけました。

ハンガリーだけではありません。

スイス、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア…。

いろいろな国へ、この相棒と一緒に旅をしました。

そして、アカデミーを卒業した2006年。

今度はこの相棒を日本へ空輸するために、たくさんの書類を準備しました。そしてようやく、日本の我が家へ迎えることができました。

帰国してからも、ずっとこの相棒と音楽の旅を続けています。

日本にやってきて、もう20年。

日本中を一緒にまわりました。

たくさんのオーケストラとも一緒に頑張りました。

被災地へも何度も一緒に出かけ、少しでもたくさんの方を音楽で励ますことができればと演奏してきました。

僕のCDに残っている音も、この相棒が奏でてくれたものです。

2003年、ブダペストのアパートで初めて出会ってから、もう23年になります。

あの日、この真新しいツィンバロンを前にして、

「これからこの相棒と一緒に生きていくんだ」

と思ったこと。

こうして振り返ってみると、本当にその通りになりました。


受け継いだ音を、これからも

師匠の想いを詰め込み、考え抜かれて作られたこのツィンバロン。

僕にとっては、「ヘレンチャール門下の音」と言ってもいいのかもしれません。

音の並びそのものは、伝統的なボハークタイプと同じです。

でも、実際に鳴らしてみると、そこにはヘレンチャール先生が求めていた響きが、確かにありました。

「これはヘレンチャールの音だ」

そう感じるたびに、僕はヘレンチャール門下であることを、とても誇らしく思いました。

そこには、師匠が受け継いできた伝統が、まるで魂のように埋め込まれているような気がしたのです。

僕はこれからも、ずっとずっと、この相棒と一緒に音楽を続けていきたいと思っています。

ただ音を奏でるだけではなく、その音の中に息づいている伝統も含めて、次へと伝えていくために。

そして、この相棒とともに、これからも新しい音楽と出会っていくために…。

2026年08月24日