ツィンバロン留学で「青いディプロマ」と「赤いディプロマ(首席)」をもらった話

僕の「青いディプロマ」と「赤いディプロマ」の話

僕はツィンバロンという、ちょっとマイナーだけど一度ハマると抜け出せない楽器を専門にしています。

ツィンバロンの本場は、ハンガリーやスロバキアといった中欧の国々です。
僕はまずハンガリーで学んで、「青いディプロマ」と呼ばれる専門資格を取りました。
そのあと、スロバキア国立バンスカービストリツァ芸術アカデミーのツィンバロン科に編入して、最終的に「赤いディプロマ」、つまりその年度の首席を意味するディプロマをもらいました。

日本では、「青い」「赤い」と言っても「信号かな?」くらいに聞こえるかもしれません。
でも、かつての共産圏の音楽教育の中では、これがなかなか笑えないくらい重い意味を持っているんです。

今日は、できるだけ肩の力を抜きながら、この「青いディプロマ」と「赤いディプロマ」がツィンバロンの世界でどんな立ち位置なのかをお話ししてみたいと思います。


かつての共産圏の「紙」は、ほぼ職業免許証

ハンガリーやスロバキアのような、いわゆるかつて共産圏だった国々では、音楽院や芸術アカデミーは国家公認の「専門家養成所」でした。

そこで出されるディプロマは、ざっくり言うと

・プロ演奏家として舞台に立つための免許証
・学校や音楽院で教えるための教員免許証
・研究や教育の場で「この分野の専門家です」と名乗るための身分証

を全部まとめたようなものです。

日本だと「音大出てなくても、うまければフリーでやっていけるよね」という空気がありますよね。
一方で、かつての共産圏は、「紙がないと、そもそもスタートラインに立てません」という世界です。なかなかシビアです。

僕がハンガリーで取った「青いディプロマ」は、そんな仕組みの中で「この人はツィンバロンの専門家として認めます」という、国家からのハンコを押されたようなイメージでした。


青から赤へ──もう一回、本場のど真ん中へ

青いディプロマを取ったあと、僕は「よし、これで終わり!」とはなりませんでした。
むしろ「ここからが本番だ」と思って、スロバキア国立バンスカービストリツァ芸術アカデミーのツィンバロン科に編入します。

今ふり返ると「もうちょっと楽な道もあったのでは…?」と思わなくもないですが、そのときの僕は本気で

・もっと本場の空気の中で
・もっと徹底的にツィンバロンと向き合ってみたい

と考えていました。

スロバキア国立バンスカービストリツァ芸術アカデミーでは、テクニックに加えて

・音楽理論や解釈
・レパートリーの背景
・伝統的なスタイルの理解

などなど、「楽器と結婚するつもりですか?」と言われそうなくらい、いろいろ問われます。

そのうえで、同じ年度に卒業する学生たちの中から、一人だけ選ばれるのが「赤いディプロマ(チェルヴェニー・ディプロム)」です。
日本語にすると「首席卒業」ですが、感覚としては「その年のツィンバロン担当・看板選手」にかなり近いです。


「首席」はごほうびというより、大きなバトン

日本で「首席」と聞くと、「成績優秀で表彰されました、おめでとう!!」という、ちょっと華やかなイメージが強いかもしれません。

かつての共産圏の音楽教育の中での首席は、もちろんうれしいことではあるのですが、同時にこんな意味もついてきます。

・その年度、その専攻を代表する存在として、国立の教育機関から「この人です」と指名される
・将来、演奏だけでなく、教育や研究、文化交流などの役割も担うことを期待される
・その国のツィンバロンの伝統を、次の世代や他の国に渡していく役目を背負わされる

つまり、僕にとって「赤いディプロマ(首席)」は、ごほうびメダルというよりも、「はい、これ持って走り続けてくださいね」と渡された大きなバトン、という感じでした。

もちろん、もらった瞬間は「やった!!」と喜びました。
でも、時間がたつほど、「あれ、これけっこう重たいぞ…」と実感していくタイプのバトンです。


日本ではなぜ伝わりにくいのか

ここまで読んでくださった方の中には、「そんな背景があったなんて知らなかった」と感じている方も多いと思います。

日本では

・数週間の講習も、数年の正規留学も、まとめて「留学」と呼ばれてしまう
・単発の修了証と、国立芸術アカデミーのディプロマが、同じように並んで紹介されることがある
・かつての共産圏の首席卒業と、日本の「学年で一番」が、同じようなニュアンスで語られる

といったことが、どうしても起こりがちです。

インターネット上では、ディプロマの色までは見えません。
「青」だろうが「赤」だろうが、「ディプロマって書いてあるから、きっと何かすごいんだろう」で終わってしまうことも多いと思います。

その中で、僕自身の経歴が紹介されるときに「ここ、だいぶ端折られたな…」と感じることもあります。
それは、僕が傷ついたというよりも、本場の先生方や教育機関、そしてこのディプロマという仕組みに込められた思いが、ちゃんと伝わっていない気がして、ちょっともったいないなという感覚です。


僕がこの話を書いておきたい理由

ここまでディプロマや首席の話を書いてきましたが、正直なところ、こういう話題は日本だと

・「威張っている」
・「自慢している」
・「上から目線だ」

と受け取られてしまうこともあります。

それでも、あえてこうして文章にしておきたいのは、「僕はえらいんだ」という話ではなくて

・ツィンバロンの本場で、専門家がどう育てられているのか
・そこで出される「青いディプロマ」や「赤いディプロマ」に、どんな意味と責任があるのか
・その背景を知ったうえで、日本でこの楽器とどう付き合っていくといいのか

を、少しでも共有できたらうれしいからです。

専門職の世界では、肩書きの裏側に、長い時間とたくさんの人の努力が詰まっています。
もしどこかで、ツィンバロンや他の専門的な楽器に出会ったときに、「ああ、あの青とか赤とか言ってた話ね」と、ちょっとでも思い出してもらえたら、それだけでこの文章を書いた意味があるな、と僕は思っています。

2026年7月12日
ツィンバロン・ディプロマーシュ
斉藤浩


スロバキア国立バンスカービストリツァ芸術アカデミーで、赤いディプロマ(首席)を授与された日の一枚です。

2026年07月12日