「Hiroshi」と「Hiroshima」―名前の響きがもたらした差別の記憶

今日は8月9日。長崎に原子爆弾が投下された日です。

この日に、僕が留学していた頃に経験したことを、一人の日本人として書いておきたいと思います。 これは、とてもセンシティブな話です。

誰かの国や民族を批判したいわけではありません。

僕がハンガリーとスロバキアで過ごした約5年間には、たくさんの素晴らしい出会いがあり、多くの人に助けてもらいました。 そのことを最初に書いたうえで、それでも実際に僕が経験したこととして、残しておきたいと思います。

僕の名前は「Hiroshi(ヒロシ)」です。 留学した当初、この名前を名乗ることで、思いもしなかった経験をすることがありました。

「Hiroshi」と「Hiroshima」。 外国語として聞いたとき、その響きが似ているからなのでしょう。 僕が名前を告げると、 「Hiroshima、Hiroshima……ああ、違った。君はHiroshiだったね」 と笑われる。 ひどいときには、大勢の人がいる前で、 「Hiroshima! Bomb!」 と声を上げられ、からかわれることもありました。

原爆という、人間が決して軽い冗談にしてはいけない出来事と、僕自身の名前を結びつけられたのです。 そして時には、まるで僕自身が「放射能」と結びついた存在であるかのような言葉や態度を向けられることさえありました。

僕は、そのたびにどう反応すればいいのか分かりませんでした。

怒ればいいのか。 抗議すればいいのか。 その場を笑ってやり過ごせばいいのか。 でも、笑えるはずがありません。 僕は「ヒロシ」という自分の名前を名乗っただけなのです。

名前は、自分が生まれたときに与えられた大切なものです。 それを名乗ることそのものが怖くなる。

そんな経験は、それを実際に味わった人でなければ、なかなか想像できないかもしれません。

留学生活の中で僕が辛かったのは、「広島について触れられること」ではありませんでした。 広島や長崎について日本人として語ることを、僕は避けたいと思ったことはありません。 そうではなく、原爆という歴史的な悲劇が、僕の名前をからかったり、人を傷つけたりするための「冗談」として使われることが辛かったのです。

そんな中で、今でも忘れられない人たちがいます。 僕が所属していたELTEバルトーク混声合唱団の仲間たちです。

合唱団では、みんな僕のことを「Hiroshi」ではなく、 「Hiro(ヒロ)」 と呼んでくれていました。 「ヒロ!」 「ヒロ!」 いつもそう呼ばれていました。

当時の僕には、それがどれほどありがたかったことか。 彼らがどこまで僕の気持ちを理解してくれていたのか、すべてを言葉で確認したわけではありません。 でも僕には、「この場所では安心していていいんだ」と感じられました。

人を傷つけるのも言葉なら、人を守るのもまた言葉なのだと思います。 ほんの少し呼び方を変える。 たったそれだけのことが、一人の人間にとって大きな救いになることがあります。

留学生活が長くなり、僕という人間を周囲の人たちが知ってくれるようになるにつれて、名前をからかわれることも、やがてほとんどなくなっていきました。 それでも、あの頃の記憶は消えません。

8月になると、僕は毎年いろいろなことを考えます。 広島。 長崎。 そして、戦争によって命を奪われた、世界中の多くの人たちのこと。 原爆によって亡くなられた方々、今もその影響に苦しむ方々のことを思えば、「Hiroshima」や「Nagasaki」という言葉を、人を笑ったり傷つけたりするための材料にしていいはずがありません。

そして同時に、僕たちは歴史を「誰かを憎むため」に記憶するのではなく、同じことを二度と繰り返さないために記憶し続けなければならないのだと思います。

戦後の日本は、平和を大切にすることを社会の大きな柱として歩んできました。 僕は、その国に生きている一人として、「戦争をしない」という願いをこれからも大切にしたい。

今日、8月9日。 長崎に原子爆弾が投下されてから81年。

亡くなられたすべての方々に、心から祈りを捧げます。

そして、国籍や民族や名前の違いによって、人が傷つけられることのない世界であってほしい。

「Hiroshi」という自分の名前を、僕は今、大切にしています。 あの頃、僕を「Hiro」と呼んでくれた仲間たちの優しさとともに。

2026年08月09日