父の命日に寄せて〜ブリキのマジンガーZと、ファンタグレープの記憶〜
明日、8月1日は父の命日です。父が旅立ってから、ちょうど3年になります。
最近、心身ともに少し体調を崩してしまい、明日の命日には仏壇のお水を替えて手を合わせることくらいしかできそうにありません。長男なのに情けないな……とベッドの中で落ち込んでいた時、引き出しの奥から一枚の古い写真が出てきました。色褪せていたその写真を、AIがきれいに蘇らせてくれました。
それは、僕が生まれて間もない頃、エンジ色のカーディガンを着た若い父の腕に、僕がすっぽりと抱かれている写真。父は小さな僕の口元へ食べ物を運んでくれています。
大人になってからの父との写真は1枚もありません。介護を巡る葛藤や、お互いの不器用さゆえに、相性が良くないと思い込んでいた時期もありました。でも、この写真と、記憶の底にある父との思い出が、僕の胸を温かく満たしてくれています。
僕の記憶の中にある、父との幸せな思い出が4つあります。
1つ目は、物心ついた頃に父が初めて買ってくれたおもちゃ。ゼンマイで動く、マジンガーZのブリキのおもちゃでした。僕は何度も何度もゼンマイを巻いて、夢中で遊んでいました。
2つ目は、小学生の頃。手先が器用だった父が、長い竹ひごと黄色い和紙を買ってきて、大きな凧を作ってくれたことです。その黄色い和紙に、父が黒のマジックで描いてくれた絵も、やっぱりマジンガーZでした。今思えば、父自身がマジンガーZのファンだったのかもしれません。父は風を読むことが得意で、その大きな凧を100メートル近く高くまであげたのが僕には衝撃的でした。
3つ目は、父が大好きだった夜釣り。50センチを超えるような大きな鯉やウナギを狙う父の横で、僕は魚が餌に食いつくまでの長い待ち時間が大嫌いでした。退屈してうろうろする僕に、父はいつも決まって「ファンタグレープ」を買ってくれました。なぜコーラやオレンジではなくグレープだったのかは今も謎ですが、僕はその甘い炭酸を飲みながら、静かな夜の川辺で父の趣味に付き合っていました。
そして4つ目は、大阪音楽大学の卒業論文を書いていた時のこと。僕作っていた膨大な研究資料を、父は何も言わずに、一生懸命にコピーして手伝ってくれました。その日の昼に、父が取ってくれた仕出し弁当。決して豪華な弁当ではなかったけれど、二人で並んで食べたあのお弁当の味は、今でも忘れられません。
父はいつも「音楽で自立しろ」と僕に厳しく言っていました。なかなか世の中に出ていけなかった僕は、両親にずっと心配をかけ続けてきたと思います。3年前に父が肺がんで旅立った時、僕はまだ、父が望むような姿を見せてあげることができませんでした。それがずっと、心残りでした。
けれど、父が旅立ったわずか4ヶ月後。僕に、NHK交響楽団(N響)との共演という夢のような機会が訪れました。そして、その後、大河ドラマ『べらぼう』のオープニングテーマや劇中音楽を担当させてもらうことになり、ツィンバロンの音色を全国に届ける大きな役目をいただきました。
生きているうちにこの姿を見せたかった。その思いで涙が出そうな時もあります。でも、この不思議なタイミングを想う時、僕は確信するのです。
「浩、お前はツィンバロンを人生の仕事にして、自立できたな。よく頑張った」
天国の父が、特等席で僕の音楽を聴きながら、今も背中を押してくれている。
お父さん、今年の命日は、立派な供養はできません。でも僕は、ハンガリーとスロバキアで受け継いだ本物のツィンバロンの伝統を、日本へつなぐために、人生を懸けて歩いています。
僕は、あなたの自慢の息子になれたでしょうか。
天国から、これからも僕が奏でるツィンバロンの音色を、どうか聴いていてください。
